『古事記』『日本書紀』に記された感染病の恐怖
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #077
藤原氏に大きな影響を与えた奈良時代の疫病

平城宮跡歴史公園に復元された遣唐使船。遣唐使の往来は、奈良時代の天然痘パンデミックを広めた一因かもしれない(筆者撮影)。
そして、最も世の中を震撼させて歴史を大きく変えたのは、奈良時代の疫病でしょう。
藤原不比等(ふじわらのふひと)の息子たち、武智麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂(まろ)の高官四卿(しきょう)が疫病でバタバタと亡くなりました。これによって藤原氏の屋台骨が大きく揺らぎ、広嗣(ひろつぐ)の乱や奈良麻呂(ならまろ)の乱、そして恵美押勝(えみのおしかつ)の乱、聖武天皇の度重なる遷都、大仏建立などの遠因となりました。
これらの疫病は天然痘だったと考えられています。
そして流行のきっかけは、遣唐使船の到着や新羅使(しらぎし)など外国からのヒトの往来でした。つまり、抗体を持つ人がウィルスや病原菌を日本列島に持ち込んでいたわけです。現代と同じですね。
それならば、固有種然として日本列島に暮らしていた縄文人に接触した渡来人、つまり弥生文化人が何らかのウィルスや病原菌を持ち込んだと考えるのも自然ではないでしょうか?
かつてコロンブスはアメリカ大陸を発見して、さまざまな物をヨーロッパに持ち帰りますが、梅毒を広めたという説もあります。約100年前に流行したスペイン風邪も、新型インフルエンザのパンデミックでした。
人から人への感染症は交流がグローバルになると蔓延しやすくなります。
弥生人が九州北部から全国に広がった際に、縄文人たちは未知の疫病に襲われた可能性も考えられるのです。

佐賀県吉野ヶ里遺跡(筆者撮影)。弥生人が九州から広がっていった弥生時代に、先住の縄文人たちは疫病に苦しんだのだろうか?
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